小さな灯火に希望を見た。新曲Flareに見たBUMP OF CHICKENの向かう未来
BUMP OF CHICKENの新曲 “Flare”が彼らの結成25周年の節目の日にリリースされた。
日本語で炎を意味するタイトルのこの曲は、一見穏やかで優しい曲調に感じるが、内に秘めた強い意思をはっきり感じる彼ららしい楽曲だ。
BUMP OF CHICKENがFlareをとおして発信したメッセージをかってに解釈して記事にまとめる。
Flareの意味
この単語には多くの意味がある。炎とか光もその一つ。その中で一番しっくりきたのは”閃光”という意味。
to burn brightly either for a short time or not regularly
FLARE | 意味, Cambridge 英語辞書での定義
日本語では、
短くまたは不定期に輝くように燃えること
ものすごく力強く膨大なエネルギーを持っていそうである。
歌詞の解釈
BUMP OF CHICKENの決意
Flareの歌詞とどうしても切り離すことができないのは、昨年発覚したチャマの不倫である。藤原基央が明言したように一時はバンド解散にまで話が及んだこの騒動だが、最終的に彼らはチャマの活動休止と3人での活動継続を選択した。その決断に対する想いが1番の歌詞に現れている。
自分にしか出来ない事ってなんだろう
終わったって気付かれないような こんな日々を
明日に繋ぐことはせめて
繰り返すだけでも繰り返すよ
彼らにしか出来ないことは、彼らの音楽をリスナーに届けることである。
不倫騒動のせいで離れたファンは少なからずいる。
それでも聞いてくれる人がいるならその人に音を届けようという彼らの決意である。
いやが応にも世界は回る
自分がどんな状況にあっても、それとは関係なく世の中は動いている。あなたのことなんて誰も見ていない、誰も気にしていない。良くも悪くもそんな風に受け取れる。
今 世界のどこかで 青に変わった信号
跳ねて音立てたコイン 溜め息 廻る車輪
また 世界のどこかで 青に変わった信号
拾われず転がるコイン 瞬き オーケストラ
そんな世界でも、”あなた”はいる。
世界があなたに興味がなくても、この曲を聴いてくれる”あなた”と俺は繋がっていたい。そんな藤原基央の言葉が聞こえる。
絶望。でもきっと大丈夫。
抽象的な対比表現に藤原基央の作詞センスが表されている。表と裏、生と死、絶望と希望のように正反対の意味ではあるれど、けっして切り離すことは出来ない。
壊れた心でも 悲しいのは 笑えるから
こんな絶望の中にいるのに、こんなに辛いのに、笑えてしまう心を恨んでいる。
でも、こんなに悲しいのに笑えるんだと絶望から脱する希望があることを示唆している。
小さな灯火と大きな希望
灯火とは例えばロウソクの炎のような小さく弱々しい光のことである。一方、Flareはとてつもない激しい光である。この光の対比が意味するところは何だろうか。
太陽の活動の中に太陽フレアというものがある。太陽の巨大なエネルギーが爆発しプラズマが発生する現象。
太陽の莫大なエネルギーと膨大な寿命から見たときフレアはたった一瞬の光にすぎない。けれども、確実にそこに存在した大きな光は時に地球にも影響を及ぼすほどのエネルギーを持っている。
BUMP OF CHICKENの中から飛び出してしまったフレアは彼ら自身を危険に晒してしまうほどのエネルギーを持っていた。そんな危険なものなのに、彼らはけっしてその炎を消さない。
どれほど弱くても 燃え続ける小さな灯火
灯し続ける選択をしたからこそ、その灯はいつか元の居場所である太陽に戻ってくることが出来るのだと思う。
僕らにとってはその小さな灯火が大きな希望だ。